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文章屋Y.S.のよしなしごと日記、音楽映画書評など

EPUB3(縦書きルビつき日本語電子書籍フォーマット)とPC、iPhone、iPad

 EPUB3という電子書籍フォーマットが日本語縦書きルビつきに対応している(し始めている)ということで、注目しながらも、文章、小説そのものを作るのにエネルギーは割けても、難解なフォーマットを理解するのに時間はかけたくない、ということで、しばらくは様子をみていました。

 そこに、2月に登場した一太郎の最新版では、EPUB出力に対応する、という情報が飛び込み、さっそくバージョンアップ。自作の小説を変換して、EPUBファイルを作ってみました。

 現在、その作品は某文学賞に応募中のため、表に出せませんが、そのうち、公開している短編など変換して、ダウンロードできるようにしてみたいと思います。

 現状では、一太郎の縦書きEPUB出力そのものに、ちょっと物足りなさがあります。単純な文章はもちろん、ちゃんと縦書きルビつきで変換できるのですが、ほとんどオプションらしいものがなく、

・挿絵のはさみ方がよくわからない
・画像化されたコンテンツをうまく回り込めない。
・画像の変換に何らオプションがない
・テキストが1ファイルになってしまう(チャプター分割出力ができない)

 という問題があります。

 特に日本語EPUBに便利なものではありませんが、SigilというEPUBエディタにより、チャプタ分割を行って、画像の下に文章が回り込んでしまう、などの現象を解消できることがわかりました。が、特に目次機能との連携等の際、ある程度のレベルのHTMLの知識が必要です。そして面倒です。

 一方、作ったEPUBを表示できる環境も、まだまだ貧弱です。

 PCでは、ブラウザで、Firefoxが、プラグインを入れると直接EPUBを開けるものの、ルビにも縦書きにも全く対応していません。
 Google Chromeは縦書きルビつき表示に対応していますが、直接的にEPUBを開けません。EPUBの「正体」はxhtmlファイルやCSS、画像データなどをzip圧縮したものでして、拡張子をepubからzipに変えて解凍すると、html群となります。この中の文書ファイルを、右クリック等でChromeから開けば、縦書きルビつきがきれいに表示されます。読みやすいですが、表紙も目次も別ファイルで、それぞれに開く必要があります。
 Espurというフリーソフトが日本語縦書きに対応して書庫機能もあるんですが、一太郎で作ったEPUBファイルについては、画像が全く表示されませんでした。

 つまり、いずれも不完全ながら、本文が快適に読めるのはChromeかEspurです。

 iPhone、iPadについてですが、iBooksは全然ダメです。1ページ目だけ表示して、ファイルがそれだけで終わっているかのような表示になります。これなら「表示できない」とエラーを返してくれた方がマシですね。

 しかし、素晴らしいアプリがありました。

 Kinoppyです。
 
 これは紀伊國屋書店の電子書籍を買ったり読んだりするのが主目的のアプリだと思うんですが、EPUB3が見事に表示できます。表紙も出るし、ピンチで文字サイズ、一行文字数なども自由自在に変えられます。

 なおiPhoneのみの対応の有料アプリbReaderも、同様のEPUB表示機能を持ちますが、これ、同じ開発会社によるほぼ同様のレンダリングエンジンなんですね。bReader開発元が、KinnopyのEPUB表示部の技術を提供しているようです。

 ただ、Kinnopyにも一つだけ問題があります。

 それは目次機能です。Webブラウザでは「ページ内アンカー」と呼ばれる一つのxhtmlファイルの中のインデックス(一太郎の目次機能がEPUBに反映されます)に、目次からジャンプできるのですが、Kinoppyはできません。
 欠点はそれだけです。これは、文書ファイルを章ごとに分割することで解決できます。Sigilで可能です。ただし分割自体は容易なものの、これを目次にきちんと反映させるには、for experts onlyの編集機能を使い、opfファイル等を直接編集しなくてはいけません。慣れれば簡単ですが、htmlが皆目わからない人には無理な作業です。ミスるとたぶん正常に動作しなくなりますしね。

 iPhone、iPadのKinoppy等のリーダーが、ページ内アンカーへのジャンプに対応してくれるか、一太郎がEPUBのチャプター分割出力に対応してくれるか。いずれかが実現すれば、ほとんど問題はなくなります。快適日本語電子書籍ライフ(作るも読むも)が、もうすぐそばまで来ていると思われます。

 なおAndroid系でのEPUB3リーダ対応状況については、僕に検証できる環境がなく、逆に情報求む、ってところです。

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芥川賞受賞作 二作を読んで

 受賞会見が話題を呼び、本が売れたという田中慎弥の、「共喰い」を、文藝春秋で読みました。
 会見自体は、彼の個性とかウィットが現れていて、なかなかよいと思ったので作品にも期待していたんですが、端的に結論を言えば「死ぬほどくだらなかった」です。

 彼の生まれ育った街を思わせる、衰えゆく川辺の街の描写などは非常に素晴らしく、確かに彼の文章家としての力量を感じました。また、構成力や小道具の使い方もうまい。

 しかし、描かれている人間やテーマらしきもの、そのとらえ方は、幼稚というかうわっつらというか、もう取り上げて語るだけのものは何もありません。

 芸術の到達点というか目標は、ごく抽象的に言って「美と真実の追求」にある、と僕は考えています。もっとまとめるならやはり「真実の追求」つまり、「美とはなにか」「人間とはなにか」「世界とはなにか」みたいなことにつながっていくわけです。あらゆる学問の源泉「哲学」へと収斂されていきます。

 文学、創作もそうしたものへの「高度に人工的な試み」の一つである、と僕は考えています。

 醜いものや、闇や、悪を描いても構わないのです。それとて追求すれば、「真実の美」あるいは、「美、正義、善、存在」といったものの否定へ、つまりひとつの「真実の追求」へと繋がっていくわけでです。

 浅はかな露悪趣味ほどバカげていて不快でくだらないものはないのです。「共喰い」はまさにそれ。

 いくら腕がよくても、書くべきものとして、こんなものしか持っていないなら、売り物の小説なんて書かないでいただきたい。まだ、お涙頂戴の安っぽいいくらでも量産できるドラマの方が、向いています。

 僕の「共喰い」の評価は、選者の中ではたぶん宮本輝に一番近く、彼よりももっと低いものだと思います。

 円城塔の「道化師の蝶」は、実験的な作品ですが、それほど難解、とも思いませんでした。
 幻想的な物語の体裁をとりながら、物語そのもの、小説、創作、言葉、発想、といったものを、メタフィクション的に語っているのだという解釈で、そんなにずれてないんじゃないか、と思います。

 面白い試みだし、なかなか気の利いた表現や面白いモチーフがあります。でも物語そのものが、やっぱり面白くない。もうちょっと表層のストーリー自体もよくできていて面白く、それが全体として言語論やなんかになっている、というところまで到達していたら、良作でしょうけど、現時点では、実験してみました、成果は、イマイチでした、くらいな感じですね。

 こんな二作が、芥川賞なんですよね。ちょいと苦しい日本の純文学、って感じがします。

橋下教育改革の何が問題か

 あれからいくらか橋下さんの生トークなどを聞いて、見直した部分などもあるので、これから僕の考え方にも変化があるかも知れないのだが、これから書こうとしていることにはいくつか予言が含まれているので、タイミングを逸すると意味がなくなってしまう。なので今の内に書いておこうと思う。

 橋下さんの究極の目標は、スピーディに劇的に、日本を変えることにあると思う。大阪都構想はスタートラインに過ぎない。

 道州制の推進、首相公選制を、市長をやりながら協調勢力とともに進めるだろう。
 今よりもぐっと権限の強い首相となり、民意を代表しているという旗印で、大胆な改革をスピーディに実現する。そういう英雄を目指していると思う。そのために今、自分に権力を集めるべく、様々な政策を提案している。

 実際日本は危機的な状況で、ぐずぐずしていたら本当に沈んでしまう。現行制度のままのんびりと民主主義をやっていたら、何も変わらないまま、二十年後には日本は、デフォルトを迎えて崩壊するかもしれない。橋下は待望の英雄かも知れない。
 
 僕は橋下は、市政を四年やったあと、五~八年後に、実際に首相になると思う。公選制が実現すれば、その可能性は極めて高い。実はその方が、日本は救われるのでは、とさえ思っている。

 それでも現時点での橋下=維新の会の、教育改革案には、絶対に賛成できない。

 橋下教育改革の問題は二つ。
・教育委員会の権限剥脱
・教員の厳格な勤務評定

 である。

 前述の通り、橋下は自分に権限を集中させ、やりたい改革をスピーディに実現したいのだ。だからボトムから権限を奪う施策を提言する。

 そもそも教育委員会制度は、戦前の行われた軍国教育が、子ども達から判断力を奪い、国策に容易に染められたことへの反省から生まれたものだ。教育は公のものであっても、政治、宗教等からある程度自立したものであるべきだという考え方だ。

 教育委員会は元々公選制だった。かつ数人の教育委員の任期は、それぞれずれている。中央の強権が直接的に現場を支配することがないよう、緩衝材的な役割を果たし、地方自治の精神とも合致した制度だった。

 ところが、アメリカのレッドパージの圧力により、特に共産党を中心とした勢力によって形成された教職員組合を弱体化させ、中央の権限で現場をコントロールしようとする流れが生まれた。
 これにより、教育委員は公選制から首長の任命制になった。とにかく首長選で過半数、実際は三割の票を取れば首長の座は確保でき、共産党や社会党が支持する候補が首長になれる自治体はほとんどない。僕の知る限り京都は共産党、北海道は社会党が、長い間強い力を持って首長もその候補がなっていたが、他は知らない。
 とにかく国の政権与党が自民党、首長が自民党であれば、アメリカ=中央の意向が、よりスムーズに現場に反映され、教育現場への組合=左翼的勢力の影響力を弱めることができるわけだ。

 橋下さんは「民意」をよく口にする。教育委員会は形骸化していると言う。だったら本筋は、公選制に戻すことだ。選挙の結果こそ民意というならば。本音は、現状では自分のやりたいことがスピーディに通らないから制度を変えたいのだ。今の「民意」なら遠からずみんな、「橋下カラー」の教育委員に入れ替えられるのに、それでは遅い、というわけだ。 

 相対評価による教員の厳格な勤務評定の導入。確かに、休みまくってろくに働かない教員もいるし、式典中に日の丸を引き下ろすようなバカもいる。勤務時間中に組合活動する人もいるし、子どもに平気で暴力を振るったり差別的言動をする教員もいる。教科指導力が極めて低い人もいる。
 勤務評定そのものには反対しない。しかし相対評価で必ず最低ランクをつけ、二年連続なら免職もあり得るというのは、どうか。
 そもそも教員の仕事の勤務評定は難しい。基本は校長が判断するのだが、そもそもろくなやつが校長になっていないという実感が、現場にいた僕にはある。前述のようなトップダウン型システムの中では、自ら判断しない、上の言うことをただ下に下ろすだけの、古い表現になるが「テープレコーダー」のような人が校長になる。そんな人に本当に教員の評価ができるのか。
 そもそも優れた教員、そうでない教員の判断基準は何か。前述のような明らかな不適格教員はまあ、わかる。
 しかし優秀な教員とは担当学級や教科の成績を上げた教員なのか。部活動で優秀な成績をあげさせた教員か。優秀でない教員とは、学級崩壊を招いた教員か、非行が多く成績の低い学級の担任なのか。
 もしそうなら、元々は骨のある「しんどそうなクラスなら私が持ちましょう」、教育困難校でも、「私の力で立て直して見せます」という教員も、結果的に失敗したら、評価が下がる、もしかしてクビになるの? ストレスで壊れそうになるほど、努力したのに、とならないだろうか。そんな底辺校への転勤はお断り、そんなクラスの担任はご免。となるとしんどいクラス、学校、生徒の担当は、新人教員や、発言権の低い非正規雇用の職員の担当になり、ますます学級崩壊や低学力が深刻化する、という流れにならないか。僕は九分九厘なる、と思う。橋下さん自身も指摘している通り、大阪の学校はただでさえ全国的にも深刻な状況で、学力も低く、秩序の崩壊も著しいのだ。

 日の丸君が代条例も危険だ。僕は「日本国の公教育」の現場で、日の丸や君が代が尊重され、儀式的行事できちんと掲揚、斉唱されるようにすること自体には賛成だ。
 教員も公務員だから服務規程に従えと言う。教員が遵法精神を持ってこそ子どもにそれを教えられると。
 音楽で君が代を教え、儀式で日の丸を掲揚することを現場に義務づけるのはいい。しかし個々の教員にも思想信条の自由がある。在日の人もいるし、日本はきちんとあの戦争の総括をしていない。軍国教育のシンボルとして日の丸や君が代を嫌う権利は、公務員にもある。
 指導はするが、自分は歌わない、というスタンスは十分にあり得る。橋下氏は、歌わない子どもはいても構わないと言っている。斉唱や起立の強制はやり過ぎだ。まして処分と「研修」と、誓約書をちらつかせている。思想信条に関わることを、「それをしない」と誓約書を書かなければ現場に戻さない、誓約書を書いても繰り返し違反すれば処分する(免職を含む)、というのは、やり過ぎを超えて重大な人権侵害である。

 このような教育改革によって、教職員組合は弱体化する=左翼が弱くなる、ということについて、「それはいいじゃない」と思う人が今は多いと思うが、ことはそう単純ではない。

 そもそも、教職員組合は、労働組合である。経営者に対して労働者個人の立場はとても弱いため、労働組合制度がある。原則はそれと同じだ。ボトムの教員それぞれの立場は元々弱く、個人の言葉はなかなか中央に届かない。だからこそ組合がある。思想的色彩、左翼的色彩が濃いので、昨今の世情では肩身が狭い、というだけのことだ。組合自体がスタンスを考える必要はあるが、バランス的に言ってあまり力が弱まるのは問題だ。

 橋下教育改革の元では、教員は、今の校長等のように、自ら考え、直接的に生徒や保護者に責任を持つ、といった力を失い、文字通り「骨抜き」になる。教科書通りに教科を教え、首長の指示通りに自らは何も判断せず子どもに「道徳」や「規律」を教える。そんな教員のもとで、いったいどんな子どもが育つのか、考えるだに恐ろしい。

 橋下氏はよく言う。「私は民意を受けて当選し、かくなる提案をした。反対するなら対案を示せ」と。

 対案の一つは教育委員の公選制の復活である。また権限の強化である。地方自治、住民自治の力を、より強く教育施策に反映させるのだ。

 もう一つは、トップダウンではなくボトムアップによるマンパワーの有効活用だ。教育大付属小中での実践を元にした指導書なんて、ほとんどの公立学校では全く使えない。教員を増やし、各校で独自の教育課程を組めるように、教育課程研究専従のポジションを作る。現場での実践と成果を、地方の教育委員会、そして文科省へと上げ、次なる教育課程に活かしていく(フィードバック)。学力底辺校をどう立て直したか、暴力と無秩序がまかり通る荒れた学校をどう建て直したか、などなど。個々の教員の力をもっと信頼し、最大限活かす発想をすべきだ。底辺を刈り取り、脅しによって自律性を奪ってはならない。

 学校自体のあり方も、別の意味でのボトムアップが必要だ。こちらは「底を上げる」ということだ。
 優秀な人材をいかに育てるかということばかり、橋下氏は強調しているように見える。だが本当に、無償の公教育を本当に必要としているのは、塾にも行けず、家庭は荒れて学ぶ時間も場所もない子ども達なのだ。日本の子どもには「学習権」がある。等しく能力に応じた教育を受ける権利だ。
 小学校低学年での学級崩壊など論外だ。何も悪さをしていない「普通の子」への重大な人権侵害だ。貧しい子は行き場なく文盲になってしまう。家庭が教育力を失い、教員には権威も実際の権力、強制力もない現状では、これを止められない。
 まずは教員を増やすことだ。本当は一対一くらいの大人のケアを必要としている子が多数いる。そこまでは無理でも、一学級二十人以下にすれば、そうめちゃくちゃにはならないはずだ。中学校では三十人学級、完全複数担任制だ(現状の副担任は複数のクラスを掛け持ちしている)。
 とてもコストがかかるように見えるが、長い目では必ずペイする。生活保護家庭で育った子が、早々と人生をあきらめてまた生活保護に落ちるような悪循環を断ちきるのだ。意欲と能力さえあれば、チャンスのある世の中にすることで、沈み行くマンパワーを引き上げる。教育は優良な先行投資なのだ。
 現状では、家庭が貧しく暴力や無秩序がまかり通り、学校も荒れていたら、どんな天才児も力を発揮するチャンスを失ってしまう。重大な損失だ。何の資源もない日本では、人こそが資産だ。仮に人材を、子どもを、金を生む部品と考えたとしても、教育への先行投資こそが、先行き財政を立て直すことにつながる。生活保護も減らせるのだ。
 教員が対生徒で多ければ、早くから複線化した授業ができる。五年生くらいの算数で、すでに厳しい子には厳しく、必ずしも生活に必要でない一方、一部の生徒には物足りなくなる。ここらから複線化する。中学校は頭から数学は複線化、英語は中二から複線化。小学校英語は必要ない。国語の時間を増やす方が大事だ。
 また中途半端で意味のない芸術系科目は、抜本的に見直す必要がある。ピアニカなんかやっても何の役にも立たない。音楽好きにもならない。やるならもっと本格的に、やりたい子と適性のある子に、小学校から、全教科担当の教員でなく専門家が教えるべき。音楽、体育、美術あたりは、もう小三くらいから選択制にすべきだ。体育についてはある程度は全員に必要ではあるけれど。
 部活や中学校で必修化された武道にも専門家を入れるべきだ。教員でなくていい。ここでも金を惜しんではいけない。何で勤務時間外に無償で、教員が部活動の指導をしなきゃいけないのか、未だに全くわからない。

 家庭に学習環境のない子には、学校を放課後開放しよう。学生をはじめとしたボランティアに、勉強を見てもらえるようにしよう。何なら小学生には中学生が、中学生には高校生が、お兄さんやお姉さん感覚で教えても構わない。将来の有望な教員候補になるだろう。

 また、校長や末端の教員に、権限を与えよう。無秩序をもたらす生徒や保護者には、強制力を発動できるように。自宅待機や、一時的な教室からの隔離などの、強権を発動できるようにするのだ。もちろん、警察と同じように、その強権の発動には民の監視が重要となるが、多くの保護者が「警察呼べよ」と思っているような状態を、何の権限もない教員たちが必死で「内々で」収めようとしている現実があるのだ。教員に権限があり、無茶をすれば強権が発動されると知っていれば、自ずと野放図な生徒は減る。警察にまともに逆らう不良少年がいるか。規律は無思想に上意に従う教員ではなく、権力を持った教員によってこそもたらされるのだ。抽象的な「指導力」だの「威厳」だのは無意味だ。

 ボトムのマンパワーを活かすことだ。底辺を上げることだ。現場に権力を与えよう。どうだろう。橋下教育改革と対照的ではないか? こちらの方がうまく行く気はしないだろうか。

 

 ここまで言ってなお、僕は橋下首相と橋下政権を待望している。金が無ければ福祉も教育も終わりだ。デフォルトを回避する大胆な経済政策と、高齢化を迎え新しい所得配分を考えた大胆な税制改革が求められる。スピードが重要だ。少子高齢化自体を回避する政策も必要だ。
 橋下氏は聞く耳を持っていると僕は思う。教育は百年の計だ。首相になる頃には、大阪で今やっている、やろうとしている教育政策を考え直してほしい。幸い僕は大阪府民でも市民でもない。しばらくは静観したい。でも危険性の方が目立ってくるようなら、何としても潰さなくちゃいけない。橋下氏は良くも悪くも政界では久々の「大きな人物」である。国を滅ぼす力も、復活させる力も、持ちうると思う。 
プロフィール

Y.S.

Author:Y.S.
ネットを中心として活動する文章屋です。最近はiPhoneにはまってます。

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